試合剣道から生涯剣道

剣道ってスポーツ的要素だけじゃなくて「道」だから、人によって捉え方が違う部分があるんだよなぁと感じている今日この頃。自分はどうだったかと振り返ってみたい気分に。

■ 剣道状況

私の場合は、人に恵まれていて、いつも引っ張り上げてくれる人が身近にいました。試合に勝つことは嬉しかったけど、勝つことだけを求められる世界には身を置いていませんでした。

ただ、基本を身につける間もなく当てっこ剣道に走りましたので、勝負の優劣に焦点があり、五段前に悪癖を治すのには相当苦労しました。今は、生涯剣道の方にシフトし始めています。

■ 剣道との関わりと変化

自分と剣道の関係ははどうだったかなと。リマインダとして振り返ってみることに。

以下、ダラダラ書きまーす。

私は、剣道は高校1年の6月頃から部活ではじめました。
他の5人の女子とは2ヶ月遅れて入ったので、その分基本を教えてもらう時間は殆どなく、「剣道具を付けて皆と一緒に稽古の中で覚えていってね」の状況でした。先輩もいたし、私の他に5人女子はいましたので、1年のうちは試合にでた記憶はあまりありません。
指導は、大学生がちょくちょく面倒を見てくれていました。
※him先輩には、夏合宿あたりからお世話になっています。

2年になる頃には、剣道具に魅力を感じていて、三鷹の八光堂に結構遊びにいっていました。竹刀の組み方から垂の飾り糸の縫い方を教わったり、よい遊び場所で。その頃にそこの武道具屋で日本獣医畜産大学の剣道部の先生に出会い、誘われるまま、土曜日は授業のあとに、大学生と一緒に稽古するようになりました。二刀流の人も2-3人いましたし、剣道が面白く夢中になっていました。2年になると試合にも出させてもらいました。

このころは、小学生から剣道をやってきた人の事が羨ましくてしょうがかなったです。手首の柔らかさ、反射の速さ、試合に対する余裕。とにかく格好良く見えていました。

3年になると、家族が転勤で海外に行き、私は三鷹で一人暮らしをはじめましたので、日本獣医畜産大の朝稽古と土曜の稽古に出て、高校の部活も引退後も出ていたと思います。試合は、武蔵野市の市民大会など。稽古量もあったので、ムラは有りましたが、試合も勝ちはじめており、どうやったら強くなれるか、本を読んだりして相当熱心にやっていました。

試合も面白かったですが、なによりもこの日獣の大学生たちとの稽古が面白かったのを覚えています。

大学進学後は、留学がきまっていましたので、剣道部の人と相談をし、中途半端になるくらいなら帰ってきてからのほうがよいかもしれないとのことで、剣道部に入るのはやめて、バレーボールサークルに入っていました。また、武蔵野市の方と、日獣の方に通って剣道は継続していました。

留学先のアメリカでは、剣道をやるには車で3時間とばしてアトランタに行かないと稽古場所がなかったので、地元のYWCAで空手を習いました。

留学から戻り、大学の剣道部に入部をし、ほぼ毎日剣道やっていました。
※もり爺監督にお世話になりました。

試合に勝つ為にはどうしたらいいか、レギュラーに入るにはどうしたらいいかということばかり考えていました。まさに当てっこ剣道全盛期スタートです。突きから逆胴からなんでも練習しました。ポジションは主に先鋒で、ガツガツした剣道(;^ω^) せっかちな性格で勝負を急ぐところがありますので、万馬券剣道で監督泣かせでした。

社会人になって、住まいを高円寺に移し、杉並区で稽古をやっていました。環境良く、本当に試合によく出してくれまして、地域でも戦績よく、運良く全国にも行けました。調子にのっていた頃です。ネットでの交流もスタートしました。
※お髭のふくさんにあったのもこの頃

前職を退職し、体育系の資格を取る都合上、実家の近くの道場にお世話になり、大学とその道場の2箇所で稽古。試合は、所属の関係でほとんどでなくなりました。

結婚後は、長野に住まいを移し、今の道場にお世話になるも、試合に出る機会は殆どなくなり、五段審査にも落ちまくり、稽古量も激減。2-3年は、年間30回ぐらいしか面をつけていませんでした。審査もダメ、試合もなく剣道が嫌いになっていた時期。今思えば、当てっこ剣道の上、稽古不足なわけで、そりゃ五段は無理だわって状況だったんですけど。

2005年に手術をした際に、マスタヨーダがお見舞いに来てくれたのにはビックリ。稽古は熱心じゃなかったし、ヨーダの話もまだ心に響いていない時代たったので、こんな私にどうしてお見舞いに来てくれるんだろうと、びっくりするやら申し訳ないやら。療養後、真面目に道場に通い稽古するようになりました。ヨーダも熱心に指導をしてくださり、徐々に当てっこ剣道から生涯剣道へ移行しはじめたと思います。

2008年にはアキレス腱を切って、1年ぐらい稽古を中断しましたが、@MIXの皆さんのご指導のおかげで、剣道の質がかわりました。熊さんのアドバイスも目からウロコで…。アキレスを切ってアスリート並のトレーニングを課すトレーナーのおかげもあって、劇的に剣道が変化したのでは?

昨年から、少年剣道の指導をお手伝いするようになって、子供たちと一緒に基本を見直す時間ができました。剣道はじめてやっと基本に立ち返る時間をもらえたのはラッキー。また、人に教える難しさも実感。「教えることは教わること」を合言葉に勉強中。

今年は試合にも出るようになって、昔の試合に対する取り組みとは違っていて、フェイントやトリッキーなことをやって勝つような試合はしなくなり、攻防を感じるような剣道に変化してきています。昔は1本とられれば崩れてしまう試合が多かったですが、今は1本とられても返せるような試合展開ができるようになってきました。

これも、出会った人のおかげで、生涯つづけていける剣道に引っ張り上げてもらっているからです。

■ 目標

今 目指すのは、審査でも試合でも同じ剣道をして、正しい剣道を身につけること。大怪我をしないで、長く継続できるようにすること。

■ 総括

約20年かかって、ようやく生涯剣道のドアに手をかけたところ。
えらい遠回りしてきたけど、人に恵まれての剣道人生。

できるだけ長く、多くの人と交剣知愛できるように、精進していきたいものです。

皆様に 多謝

———-

■ 追記

私の中でのイメージは、剣道に関しては、当てっこ剣道、試合剣道、生涯剣道、(教育剣道もあるかな)それぞれの修行の段階の中で、いろいろなアプローチがあるので、どれも否定しません。ただ「人を貶める剣道」は嫌だなぁと思います。

また、補足として、「あてっこ剣道=試合剣道」ではありません。素晴らしい指導者のもと、基本を身につけて、心も磨かれ、勝負の世界に身を置く人も多く、試合の中で表現できる人は凄いと思います。若い段階では、目標設定もしやすく、試合も経験したほうが、よいと思います。そこを指導者が崩れないようにどうフォローしてくれるかが、ポイントかと。

基本も心も伴わないまま、試合試合になると、ややもすれば当てることばかりに執着をし、悪癖がつきやすく、長く続ける上では苦労がでてくるのではないでしょうか。また、剣道を通しての楽しみが勝負ばかりになると、攻めの中での攻防にも楽しみがあることが見えにくくなる場合があります。

生涯剣道は、長く続けるために、自分を磨きつつ健康も維持するように心がけ、研究・研鑽をしながら、周りの人と共に歩む剣道?まだドアに手をかけたばかりなので、イメージは漠然としています。

最後に想うのは、剣道も人があってこそ。人が育ててくれます。
なので、なるべく高めてくれる人々とめぐり合えることが幸せなのだと思います。

———

もしここまで読んでくれた方がいましたら、ありがとうございます。