息抜き

e406f1e7.jpg昨日までよくがんばったので、今日は休息日。

朝は自分へのご褒美ということで買った、万年筆2本が届く。アメリカのシェーファーのものと、ラミーと両方とも安いが書きやすくて有名な一品。最近はアナログ時の筆記用具はもっぱら万年筆になっている。業務日報にしている手帳も万年筆で書く。インクのにじみ具合とニオイにうっとり。

あとは放っておいた本を読み進める。クレーム処理関係の本だが、身がきゅっと締まる感じがするが、いろいろなお客さんがいるのでできるだけクレームパターンは頭に入れておきたい。ちょっとはお勉強せなあかんね。

夕方は、最近知り合った人と食事をしに行った。久々にお酒も飲んだ。年下だが私より考え方もしっかりしている。自分の知り合いの中にはいない職種の人だけに、自分の知らない世界がリアルに見えた。楽しい時間はあっという間に過ぎ、4時間もつきあってくれた彼女に感謝。本当にありがたい。大切にしたいつきあいである。

今日話をしていくことで気づいたことがある。

ここ最近は、人と面と向かって接する時間が少ないわけだが、それでは人間力(=対人能力、人間としての魅力を私はこういう)がつかないのではないか。人間は人間とつきあって切磋琢磨するから刺激を受け、経験値をあげていけるわけで、家の中でパソコンに向かって電話やメールでコミュニケーションとっているだけでは、人間力は外で人と向き合って働いている人に比べて成長できないのじゃないか。

現代は、対人能力もデジタル化傾向にある。何かで読んだが「デジタルの世界ではアナログと違って欲望に抑制がきかず、際限なくふくれあがりやすい」のだそうだ。思考のデジタル化は、人間と人間のつきあいも味気なく薄っぺらい物にするにちがいない。デジタルにふれる仕事にいるからこそ、アナログの良さが見えるはず。そのよさをどう対人関係に生かし人間力を上げるかは、どれだけの人に出会って経験値を上げていくかといことにつきると思う。

あと気づいたのは、1ヶ月近く身内(親族+仕事仲間)以外と会話をしていなかったのだが、話す能力が退化している気がする。つまりは臨機応変に話題について行き、それに対して機転を利かせて返球するという能力のことを行っているのだが、これがよろしくなかった。これも人と話していない弊害。あらかじめ予測できる話はいいが、ぱっと出てくる話題にどう反応していくかのリズム感。これも人と会ってなきゃ退化するのだ。

結論として、コミュニケーション能力も筋肉や言語能力と同様使わなければ脳みそが必要ない能力としてどんどん捨てる方向にすすめてしまうのだ。これが老化のひとつである。私は80歳になっても機転の利くばーちゃんになりたい。

基本的には人見知りする私だが、新しい人と出会いつきあうことをおそれず、「一期一会」をモットーに今年1年は更にがんばっていきたい。「友達100人できるかな」を実現できるよう、どんどん外に出て行こう。