一昨日、長野に来ておそらく初めて?の友人が亡くなった。
その方とは3年前に入院したときに同室になり、今までずっとお世話になった方だった。
最初に交わした言葉は「やっぱり 入院って退屈ですかね?」という言葉。今思えば アホな事を聞いたわけで。私は入院経験は、幼稚園で骨折したとき以来でなんだか不安だった。そのおばちゃんは「まぁ、そうだね。でも検査とかいろいろあるから、意外に忙しいよ」って真面目に答えてくれた。
そっからは、なんだか気があって、その人と他愛のない話をしつつ手術日までその部屋に居た。手術前、ドキドキしている時も、からかい半分に見せて、その方にはずいぶん気を使ってもらった。
術後の回復室から部屋に初めて出たときも、その人が声をかけてくれた。「こっちの部屋のベッドひとつあいたよ戻っておいで」って。本当は違う部屋に行くはずだったけど、看護師さんに聞いたらOKが出て、もとの部屋にもどれた。
6人部屋で入退院の回転が速かったですが、そのおばちゃんは最初から最後まで一緒でした。彼女は抗がん剤投与で1ヶ月近く入院していたからなのだが。
2週間ちょっとは、そのおばちゃんと一緒にいろいろな話をしつつ楽しく過ごしました。そのおばちゃんは低体温で、私は術後なかなか熱が下がらず。でも検温で競争してみたりして(私は少しでも下がっていればOK、おばちゃんはあがっていればOK)。病院という隔離された中で、とても密の濃いつきあいをした。
私は先に退院しましたが、その後 月に1回は手紙を出し、彼女が入院したときには、彼女の好きなゼリーを持ってお見舞いに行った。彼女も返事をくれました。調子が今はいいよとか。
旦那母が入院したときにも、旦那母の同室の方のお見舞いに彼女が来ていて、「あれー(^―^)」ってお互いビックリして笑っちゃったりして。
今年は、私が2月にアキレス腱を切ってしまい、手紙だけしか出せず。夏以降 出した手紙に返事がなく少し心配だったので、そろそろ連絡を取ろうかなと思っていた矢先、昨日の新聞の訃報欄で彼女の名前を見つけてしまった。
昨日は、ずっとソワソワしていて、落ち着かなかった。なんだかショックだったんかな。長野に来てから、身近な知人がなくなったのは初めてで、ましてや、こっちにきてからできた友達だったので。
今日は、仕事を脱走して、お焼香に行ってきた。
喪主は長女が気丈に務めていた。長女も次女も彼女の宝で、よく嬉しそうに話をしてくれた。
大好きなピンク色に包まれた遺影は、彼女の一番良い笑顔だった。
できることなら、まだまだ一緒に笑える時間を作りたかったのに残念。
もらった優しさや元気を大切に、感謝して前に進もう。
彼女の ご冥福をお祈りしつつ。