(ネタバレあり)
どうしてこの映画が話題になったときにすぐ見なかったのか。
映画が公開されたときに、話題になっていたのは知っていたのだけれど、その時は重い映画を観たくなかったのかもしれない。
Huluで流し見程度にふと選んで見た。
寺尾聰の静かな演技の中に、強い感情を想像させる。それは、それぞれの立場によって受け取り方がかわるのかもしれない。竹野内豊の迷う役の方がわかりやすい。左とん平の「引き金を引くときは躊躇しちゃいけない、情けがするっと入ってくるからね」という言葉は、優しい言い方だけどとてもリアリティがあった(剣道的な共感?)。
今この時に見たからかもしれない。少年Aの「絶歌」。内容は知らないが、読む機会があるとすれば、この映画で感じたものに引きずられ被害者視点で感情移入してしまうかもしれない。出版社は利益優先なのか社会的意義優先なのか、本人が書いたことが真実なのか、どうして第三者を挟んで客観的な執筆にしなかったのか、なぜ被害者家族の了解を得なかったのか。いろいろな何故がよぎる。
「さまよう刃」の主人公の最後の選択「少年に死を持ってあがなわせるのではなく、死に値する恐怖を持って後悔させる(少しニュアンスは違うかも)」。こういう結論はもちろんあり得ないけど、そういう事があるならば少年Aのこの本は全然違うものになっていたのだろうなぁ。
ちなみに、今朝読んだ長谷川豊さんのブログでは「自分の子供が被害者に…」の意見が多いが、「自分の子供が加害者に…」の視点が欠落していないか?というのがあったのは、言葉は乱暴だけれども納得。
【参考】長谷川豊公式ブログ
『絶歌』を批判する人に決定的に欠けている視点
軽い気持ちでこの映画を観たけど、タイミング的には深く考えるきっかけだった。