やぶっち先輩、昇段おめでとうございます。
自分のことのように嬉しいです。
それと同時にいろいろ思うところもあり。
書いてみれば頭の中もまとまるかもしれないので、思いつくままに書いてみようかなと。相当長くなりそうなので読んでくださる方、先にごめんなさい。
■昇段に対しての考え方の変化
剣道を始めて、1級から四段まではストレートで合格。はじめて五段を受けるときもその勢いで合格しないわけはないと思っていた。初めて受けたのが、2003年の4月。5年近く五段を受け続けている。
はじめて受けた時は、よく考えれば、結婚したり、仕事で独立したり、稽古はほとんどしていなかったわけで。それでいて、自分勝手に剣道をする…そんな感じだったと思う。でも気ばっかりが強くて(^^ゞ
最初の2回ぐらいの受験では「なんで自分が落ちなきゃいけないのか」のような気持ちだった。家の事や仕事をいいわけに稽古をよくさぼった。
結局、受けるのは2回分ぐらいやめた。
でも、その2回の間には、一緒に稽古していた仲間達がどんどん合格をし、まわりからの「はやく受かってよ」とか、そんな声が焦りになり、再度受験。会場に いても、ソワソワするし、焦るし、落ちれば「自分なんかだめなんだ」と、嫌になり、なんで剣道をやんなきゃいけないのか…と思うようになった。
このあたりは本当にダークサイドにいたと思う。稽古に誘われてもあまり気乗りがしないし、剣道はうまくならないし。試合に出させてもらっても、あまり良い結果がでないし。
そんなこんなで、ある大会の強化選手みたいにちょっとなり、稽古を普段していないところで、稽古をするのが続いたため、左膝の半月板損傷、後十字靱帯切断…。もう本当に嫌になっていた気がする。
でも気を取り直し、翌年受け続けようと決意、怪我が治りきらぬまま、医者に痛み止めの注射を打ってもらって2回受けた。稽古不足はどうも見えるらしい。見 ていた昔御世話になった先生に「おまえ、稽古していないだろう、落ちたよ」といわれた。もちろん落ちた。こんなにがんばっているのに、なんで受からないの かと、悔しかった。負け犬な気がした。
そして、そのあと骨折もし、本当に面白くなかった。受験もできないし、目的すら失った気がした。腐っちゃったわけで。
そして、復活しようとしたその年の最後に、とある理由で開腹手術となり、医者には剣道は半年は無理だといわれた。ショックだったような、ホッとしたような。たぶん、ホッとした方が強かった。もうやらなくていいんだって。
術後、多くの人の暖かい情に触れた。特に剣道の仲間のお見舞いが嬉しかった。ああ、私が剣道で培ってきたものは「人との繋がりなんだなぁ」と気づくことが できた。「自分は試合に勝つとかそういう強くなることばかり考えていたけど、そうじゃないんだな。強くなるって一人じゃできないし、強いの意味も違うじゃ ん」なんだかスッキリ。いままでの自分はなんて自分勝手だったんだろう。
そうなれば罪なもので、剣道がしたくてたまらなくなった。剣道のサイトも見まくって。でも掲示板は以前ほどには盛っていなくて。なんだか、多くの剣道の仲間との繋がりを大事にできるサイト作ろうかなと。
時間にも余裕があったので、@MIXができて。はじめは30人ぐらいでワイワイ・ガヤガヤ。もう本当に稽古したくてしょうがなかった!
2006/06にやっと稽古を再開。はじめは体力もなくて、面をうったつもりが小手で、ヘロヘロだけど楽しい。マスタヨーダも以前はうるさい先生だなぁと 思っていたけど、言葉の一つ一つが心を打つようになって。世界が開けた気がして嬉しかった。また、家族が暖かく送り出してくれるにも、心に染みた。 @MIXの皆さんの剣道にたいする思いや、励ましでモチベーションが維持できた。
※皆さん、本当にありがとうございます。
そして五段の審査を秋に受けた。再開から半年ぐらい。受験できたことが嬉しかったし、結果も不合格だったけど、なんだか「よし、次がんばるぞ!」ってワクワクした。
この後は、数回受験しているけど、まだ受からない。でも、毎回進歩している自分が感じられた。またこの頃から、仲間が受かっていくのを素直に「おめでとう!」って思えるようになった。お、あの人はこの山を乗り越えて新しい景色をみたか、私も後に続くようにがんばろうって。
それよりも何よりも、いろいろな人と稽古をするのが楽しいし、剣道を工夫するのが楽しい。あれも、これもやりたいけど、でも我慢して一つ一つ積み木を重ねる。そんな作業。
■アキレス腱のこと
前回の審査は、一人目の立ち会いでアキレス腱を切って棄権になってしまったけど、なんだか今までにない感触が残っている。今も鮮明に思い出せる。それとは 別に多くの人に迷惑をかけたこと、本当に悔いる。特に1人目の立ち会いの相手の方には少なからず、悪影響を与えたはず。その方は不合格になってしまった。 申し訳ない。
では、なぜアキレス腱を切ったのか。よく考えてみた。
やっぱり準備不足なのだ。審査前日だけは規則正しくしたけど、朝もストレッチして、アップもして…。いや、待てよ、前日以外は仕事が忙しくて、徹夜ばっか りしていて、食事もしっかりとらなかった。稽古もあまりできていなかった。いや、仕事が忙しいのは言い訳だ。稽古ができなかったのも言い訳。心構えが足り なかったのだ。もっと前から規則正しくできるように段取りをすればよかっただけのこと。
私に足りなかったのは、心構え。
そう思えば、今このアキレス腱を治療するという、日々の積み重ねをするということも納得がいく。足を治し剣道に復帰をすること、これが最優先課題。だから そのためには、筋トレもするし、慎重になる。ああ、私は今ここで心構えを勉強しているのだな。そんな気がしている。決して無駄にはならないし、しない。
■Qちゃんの走り
今日、名古屋女子マラソンのQちゃんを見ていた。
私は初めこの人は北京オリンピックの切符だけに焦点をむけてレースに臨んでいると思っていた。
でも前半5KMで異変、その後どんどんトップ集団から引き離されていく。見ているのが痛々しかった。この日のために準備していたはずなのに、この人はなんて運がないんだ。
でも彼女は走り続けた。私は、もうこの人は棄権しないのは北京に行けなくても、このレースで引退をする気持ちでいるに違いないと考えていた。次のレースを考えるならば棄権をしてコンディションを整えるだろうから。結果27位、大健闘だ。
夕方のニュースを見てびっくりした。
彼女は昨年の夏に膝を手術していた。そのことはレース後の記者会見までは報道されていなかったのではないか?
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もともと持病だった右ひざの半月板がめくれて、関節に入り込んだ状態になったため、内視鏡手術で約50%を切除したという。高橋は「(レースまで)7か月でメスを入れることに躊躇(ちゅうちょ)はあったけれど、挑戦するために手術することを決めた」と理由を語った。
9日のレースで、高橋はトップから18分以上遅れ、2時間44分18秒で27位に終わった。注目される去就については「やりたいこともあるので、もう少し走らせてくださいと(所属先には)話をした。まだまだ陸上生活は続けていきたい」と意欲を見せた。
抜粋
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080309-00000013-yom-spo
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この人凄い。北京オリンピックの思いはもちろんあっただろうけど、全然違う次元にいた。走るということに挑戦していた、これから先も走り続けるために。結果は不本意だったのだろうか?満足していたのでは?走れた自分を褒めてやれたのでは。
まだまだ走りたいと言っている。
この人は本当に走ることが好きなのだろう。
この大会は彼女の走るという人生の「挑戦=でも通過点」でしかないのだ。
Qちゃんにはなれないけど、私はこのアキレス腱を切ったことも、五段の昇段のことも、長い剣道人生に於いては通過点としてとらえ、剣道に真摯に向き合っていかねばいけないと感じた。
Qちゃんのおかげで、勇気をもらった。
やぶっち先輩の合格の朗報も勇気をいただいた。
うん、いける!
そう感じた1日だった。
重い内容ですんません。
とにかく、いろいろな巡り合わせに感謝<(_ _)>